徳島県護国神社(とくしまけんごこくじんじゃ)
東京都と神奈川県を除く、各都道府県に建立された護国神社の内の1社、徳島県護国神社になります。ちなみに鎮座地の住所ですが、「東開」と書いて「ひがしばり」と読みます。初見では難しい読みかな、と思います。各種案内を見る限り、縣と県、國と国の表記は、そこまでキッチリとしてはいない印象を持ちます。現在の場所には平成15年(2003年)に遷座してきたこともあって、境内や社殿はまだまだ綺麗な状態と言えます。平成16年に奉納奉告祭が斎行された社頭の大鳥居は、四国最大級の石造り鳥居として知られています。
以前の鎮座地である城山公園は徳島市の中心地でしたので、それなりに参拝者も多かったようです。ただ、今の鎮座地は徳島駅前からも遠く、公共交通機関も貧弱な徳島市の中でも外れの場所になるので、100台止められる駐車場完備とは言え、年末年始やみたま祭りの期間以外は静かに参拝出来る環境が保たれています。
◆神社概要
神社名称 | 徳島縣護國神社(とくしまけんごこくじんじゃ) |
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通称・旧称 | 徳島県護国神社、徳島縣招魂社 |
御祭神 | 明治戊辰の役以降の徳島県出身の英霊三万四千三百六十八柱 徳島県出身の殉職自衛官の御霊二十四柱 |
鎮座地住所 | 徳島県徳島市雑賀町東開21-1 |
公式サイト | 徳島県護国神社ホームページ(http://gokoku-jinja.jp/) |
◆由緒、縁起
●神社公式サイトより(徳島県護国神社)明治12年徳島市の眉山公園内に、戊辰戦争からの戦没者を慰霊顕彰するために招魂碑を建立したのが当神社の創祀です。明治39年徳島城跡地(徳島中央公園城山山頂)に移転し、昭和13年には「徳島縣招魂社」として神社が建立され、翌14年には内務大臣指定「徳島縣護國神社」と改称しました。昭和20年の徳島大空襲ですべての建造物を焼失しましたが、昭和33年戦後混乱期の社会情勢の中で官民一体となり、県民挙げての奉賛により再建されました。昭和53年には御創社百周年記念として境内整備事業が完工し、昭和63年には御創建三十周年記念事業として社殿屋根銅板葺替工事が行われました。●徳島県神社庁公式サイトより(徳島県護国神社)
ところが、その城山山頂はもともと徳島市からの借地であり、原生林保護区域にも指定されていたため車道整備などの開発ができず、遺族・崇敬者の参拝も大変不便であったことから、平成になって再度移転の話が持ち上がりました。そのようななか、現在地にお住まいになられていた女性篤志家から移転用地(約2,700坪)の寄進を受け、遺族を中心に多くの県民からの奉賛を受けて、平成15年本殿・社務所参集殿の新築、拝殿・手水舎・慰霊碑および境内諸施設の移設等を完了、正面入口には石造りでは四国最大級の大鳥居が竣工し、今の姿になりました。
昭和13年「徳島県招魂社」として徳島中央公園徳島城址(城山山頂)に創建され、翌14年には内務大臣指定の「徳島縣護國神社」と改められた 昭和20年7月徳島大空襲において社殿社務所等消失したが、戦後混乱期の社会情勢の中で、昭和33年に官民挙げての奉賛により再建された。●書籍より(徳島県護国神社)
しかしながら、当地は徳島市からの借地であり史跡文化財保護地でもあるため、自動車道の整備開発も行う事が出来ず、近年は特に高齢化するご遺族を始め県民皆様の城山山頂神社への参拝が困難を余儀なくされていた。このような中、平成12年県内在住の篤志家から神社移転用地(徳島市雑賀町)の寄進を受け、ご遺族や戦友会、そして大勢の一般県民から、心からの奉賛を戴き、平成15年秋に移転遷座することが出来た。
徳島公園招魂記念碑、写真。●頒布の由緒案内より(大国神社)徳島案内(井上羽城 著/黒崎精寿堂等 1913年:大正2年)
国立国会図書館デジタルコレクション インターネット公開(保護期間満了)
三好郡池田町出身の川崎阿佐恵氏が、昭和53年徳島市雑賀町東開の地に「月映神座」を奉斎し、その後昭和56年3月26日に出雲大社より御神像を拝戴し大國神社を創建した。縁結び・商売繁盛・薬祖の神・隠り世の神「だい黒さん」として、県下に多くの崇敬者が有る。
◆石碑
川崎阿佐恵女史顕彰碑
城山から此処に遷座した徳島縣護國神社の新社地は、平成拾弐年六月拾五日、川崎阿佐恵氏により寄進されたものである。
川崎女史は、明治四拾壱年拾壱月壱日、父川崎彦一、母キヨノの長女として三好郡池田町に生まれ、大正拾四年参月徳島県立徳島高等女学校を卒業した。若き頃より美術に造詣深く、昭和弐拾六年徳島市籠屋町弐丁目に徳島美術館を設立して書画骨董美術品の卸売商を営み、更にビル管理会社をも経営して財を成した。
また、敬神の念深く、特に出雲大社を篤く信仰し、昭和五拾六年参月弐拾六日、同大社より御神像を拝戴して徳島市雑賀町東開に大國神社を創建、自ら祭主として祭祀を斎行、布教に従事し多くの信者を集め、平成拾年よりこの地に居住して祭祀に専念することとなった。
◆特記事項
創建年 | 昭和13年(1938年)11月 徳島縣招魂社として創建 |
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社紋 | 十六八重菊に桜花 |
旧社格 | 内務大臣指定(県社) 護国神社 |
年中行事 | 毎月2日 月次祭 1月1日 歳旦祭 1月4日 新年祭 1月15日 左義長 4月第一日曜日 永代神楽祭 6月30日 大祓式 8月1日~15日 みたままつり 8月15日 平和祈念祭 9月28日 神恩感謝祭 10月27日 大国神社例祭 11月1日 合祀祭 11月2日 例大祭 12月31日 大祓式 |
霊場札所 | - |
境内社 | 大国神社 |
◆御朱印
●徳島県護国神社の御朱印◆その他、雑感
・2017年9月記歩いて行こうと思えば行ける圏内に住んでいたこともあり、何度もお参りしている神社になります。もっと言えば、遷座して来た平成15年よりも前から住んでおりまして。ただ当時は、神社にも寺院にもあまり興味のある人ではありませんでしたから、遷座のニュース自体記憶していないくらいです。
台風が過ぎて天気も良いので散歩がてら、「新たに出た全国護国神社専用の御朱印帳はどんなもんじゃろか」、の確認も兼ねて向かいました。駐車場に止まる車もなく、境内にも参拝者は私以外に老人が1人だけの静かな空間になっていました。拝殿内も開放的で、ロウソクを灯して流す(浮かべる?)ことも出来ます。毎年、新年の暦はこちらの護国神社で手に入れているのですが、平成30年の分はまだ用意されていないようでした。
境内社の大国神社、その発祥の場所であることを示す石碑が立つ月映神座、そして大鳥居脇のお地蔵様にも手を合わせてから授与所へ。以前は御朱印を待つ間、参集殿の中に入らせてもらっていたのですが、最近はそんな声も掛けてもらえずでなにやら残念な感じです。目的のひとつだった全国護国神社専用の御朱印帳もありましたが、しばしの逡巡の結果、今回はパスで。
ちなみに、境内に隣接して野鳥観察小屋なるエリアがあります。ここは、神社に沿って流れる多々羅川にいる野鳥を文字通り観察する場所なのですが・・・この日は空振りでした。望遠の一眼レフでも持っていればあるいはなにかしらの発見もあったのかもしれませんが、ふらりと訪れただけなのでそこまでは用意もなく。一応、アオサギ、コサギ、カイツブリ、カワセミ、バンなどが一年中見られると案内されているのですがね。
◆境内写真
●徳島県護国神社の石造り大鳥居。●大鳥居と参道。
●一の鳥居と参道。
●徳島県護国神社の社殿。
●境内社の大国神社。
●大国神社発祥の所、月映神座。
●境内の慰霊碑。
●地蔵菩薩石像。
●野鳥観察小屋方面から境内、遠くに眉山。
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